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広島地方裁判所 昭和39年(ワ)285号 判決 1969年1月28日

原告

児高伸郎

ほか三名

代理人

原田香留夫

ほか二名

被告

広島県

被告

広浜建設株式会社

代理人

高橋一次

ほか一名

主文

一、被告等は各自、原告児高伸郎に対し金七八八、〇〇〇円、原告岡本春之に対し金五〇、〇〇〇円、原告小笠原英樹に対し金二、〇三八、二一一円、原告小笠原幸江に対し金一、四六九、一〇六円、原告重田進に対し金二、〇〇〇、〇〇〇円および右各金員に対する原告児高伸郎、同岡本春之、同重田進については昭和三七年七月二一日から、原告小笠原英樹同小笠原幸江については昭和三七年七月二二日からいずれも完済にいたるまで各年五分の割合による金員を支払え。

二、原告等のその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用は被告等の負担とする。

四、この判決は原告等勝訴の部分に限り仮りに執行することができる。

事実

(当事者双方の求める裁判)

第一、原告等

「被告等は連帯して、原告児高伸郎に対し八五九、一二〇円、原告岡本春之に対し一〇万円、原告小笠原英樹に対し三、八〇八、〇六七円、原告小笠原幸江に対し二、六五四、〇三三円、原告重田進に対し四〇〇万円および右各金員に対する昭和三七年七月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告等の負担とする」

との判決および仮執行の宣言。

第二、被告等

「原告等の請求を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする」

との判決。

(請求原因)

一、事故の発生

昭和三七年七月二〇日午後八時頃、原告岡本春之(以下原告岡本という)は、大型貨物自動車(広一す八八八九号)の運転台に訴外小笠原広美(以下広美という)および原告重田進(以下原告重田という)を同乗させ、木材を積載してこれを運転し、広島県山県郡加計町滝山えん堤付近の二級国道広浜線道路拡張工事現場(以下現場道路という)を同郡芸北町方面から広島市方面に向け進行中、道路の川寄り部分が崩壊し、自動車は原告岡本等三名を乗せたまま約一六メートル下の川原まで転落した。このため広美は頭蓋骨々折等の傷害をうけて翌二一日死亡し、原告岡本、同重田も負傷した。

<後略>

理由

一事故の発生

請求原因第一項の事実(事故の発生)は当事者間に争いがない。

二事故現場の道路状況

現場道路は広島市方面に向け右側が山に接し、左側が川に接していること、本件事故当時山側の崖を崩して路面を拡張する工事が行われていたことは当事者間に争いがない。

そして、<証拠>を総合すると、現場道路の拡張工事は本件事故の一週間位前から開始されたが、工事方法は車両の通行止めをせず、ただ山側を崩した土石が道路上に拡がり交通の障害となる場合、一時的に通行を禁じ、車両を待たせて右土石を除去してから通行させるという方法で行われていたこと、現場道路の幅員は本件事故当時約4.60メートルであつたが、右工事のため道路の山側寄りの部分には山側の崖を崩した土石が堆積していて、その部分は通行が不可能となつていたこと、そのため道路の通行可能部分は狭められており、したがつて同所を通行する車両は、工事開始前と異り必然的に道路の川寄りの部分を通行せざるを得ない状況にあつたこと、土石が堆積していて通行不能となつていた路面の範囲は、事故発生時である昭和三七年七月二〇日午後八時頃には、幅員約1.40メートル、距離約二〇ないし三〇メートル位にわたつていたため、その余の道路幅員は約3.20メートルにすぎない状態であつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三事故発生の経緯

<証拠>に、請求原因第一項の争いのない事実を総合すると、原告岡本は前記日時頃、山県郡芸北町方面から広島市方面に向け大型貨物自動車を運転し現場道路にさしかかつたが、前記二のような道路状況であつたので、事故現場の手前約三〇メートルの地点から時速約一〇キロメートルに減速して徐行し、出来る限り残余道路の山側に寄つて道路に平行に進行したが、左後車輪付近の路面が崩壊し、後部から川原に転落し本件事故の発生をみるにいたつたこと、原告岡本の運転進行した道路の部分は、左側は後車輪(ダブルタイヤ)の外側から川寄りの道路端まで約六〇ないし七〇センチメートル、右側は後車輪の外側から土石の堆積している部分まで約三〇センチメートルの個所であつたことが認められる。<反証排斥>

右認定事実によれば、原告岡本は右側の堆積していた土石に乗りあげ横転を来たす危険のない限度において、最も残余道路の山寄り部分を徐行しつつ進行したものであつて、川寄りの道路端から五〇センチメートル以内の部分(路肩部分)に乗り入れたことはないことが明らかである。したがつて、原告岡本には、本件転落事故の発生について、その運転操作に関し過失があつたとは解されない。

四被告会社の責任

被告会社が現場道路の拡張工事を被告県から請負つていたことは当事者間に争いがない。そして、<証拠>によれば、被告会社は右工事について、その被用者戸田文夫を責任者とする人夫一〇名余をしてこれを行わせていたことが認められる。

ところで、<証拠>によれば、現場道路はバス、トラックなどの大型車がかなり通行することが認められるところ前示の如く道路の幅員が4.60メートルと狭く、片側は川に接しており、右工事は車両の通行を禁止せず行われたのであるから、これにあたる被告会社としては、工事中であることを示す道路標示等を確実に掲示することはもとより、工事作業中は山側の崖を崩したため路上に堆積する土石を速やかに処理し、道路の山寄り部分の土石の堆積による車両の通行不可能な範囲をできるだけ少なくして車両の安全な通行確保を計るとともに、各日の作業終了時においては、夜間に車両が道路の川寄りを通行しなければならないような危険な状態を生ぜしめないよう、少なくとも一車線分の十分安全な通行が確保できるように、道路の山側に堆積した土石を除去しておく一方、危険個所を示す赤電灯を点灯しておくなどの措置を講じ、もつて車両が川寄り部分を通行することによる道路端の崩壊による転落の危険を未然に防止すべき注意義務があるといわなければならない。

しかるに、事故発生時における道路の状況は前記二認定のとおりであり、右事実に<証拠>を総合すると、被告会社の被用者戸田らは事故当日作業終了にあたり、道路山寄りに堆積した土石の除去が容易になしうるのにこれを十分なさず、道路山寄り部分の幅約1.40メートルにあたる範囲にこれを放置したままにし、よつて道路幅員を約3.20メートルに狭め、また赤電灯の点灯もしていなかつたことが認められる。したがつて、右戸田らは工事の実施について前記注意義務に違反し、ことに安全な通行に必要な道路幅員の確保を怠つていたものと認めざるをえない。そして原告岡本は前記のように、幅員約3.20メートルの右残余道路部分のできる限り山側に寄つて進行し、なおかつ道路川寄り部分の崩壊による転落事故にいたつたのであるから、結局被告会社被用者における右注意義務違反と本件事故の発生との間には、相当因果関係があり、被告会社には民法七一五条一項により損害賠償の義務があると解するのが相当である。

五被告県の責任

被告県が本件道路を管理していたことは当事者間に争いがない。ところで、道路管理者は道路を常時良好な状態に保つように維持し、修繕し、もつて一般交通に支障を及ぼさないよう努めなければならない(道路法四二条一項)こというまでもない。しかして前示の如き方法で道路拡張工事を計画、施行するについては、工事中は通行車両が必然的に従来に較べ川寄りの道路部分を通行することとなるのであるから、工事開始に先立つて路肩部分付近の路盤の強度、ゆるみの有無等を調査し、川寄り部分を通行しても安全であることを確認し、もし通行に危険な個所があれば、同所の通行を禁ずる標示をしたうえ、右工事の施行にあたり、請負会社に工事を施行させるについても、交通の安全が十分確保された状況で工事が行われるよう厳重に監視し、もつて道路の管理を全うすべき事務があるというべきである。

しかるに、<証拠>によれば、被告県加計土木出張所係員は、右工事に先立つて前記路肩付近の調査をすることなく、被告会社に工事を請負わせ、拡張工事を施行したことが認められる。また右証拠によれば、右出張所係員は、請負契約の締結に際し、被告会社に対し、工事中も一車線の路幅(3.50メートル)を確保すること、通行車両を長時間待たせないこと、責任者が現場に常駐すること、工事中を示す標識等を設置することなど指示したことや、工事現場の前後には工事中あるいは一時停止の標示が設けられていたこと、係員が一日に一度位現場へ出向いていたことなどがうかがわれるが、そのほか具体的で適切な工事の監督指導を尽したものと認められる証拠は存しない。

そして、前記の事故発生の経緯、なかんずく本件車両が路端より約六〇ないし七〇センチメートルを残した地点を進行しているにかかわらず道路が崩壊していることからすると、右道路個所にはゆるみがあつたと認めざるをえず、また右出張所係員は工事施行につき被告会社に対する具体的な監督義務を十分に尽さす前記四記載のような被告会社のずさんな工事を看過し、通行可能幅員が極めて狭い危険な道路状況を出現させていたといわざるをえない。そうすると、被告県の現場道路の管理については、右の点において瑕疵があつたものと解するのが相当である。

そして、本件転落事故の発生については、被告会社の前示注意義務違反とともに、右管理の瑕疵もまた相当因果関係を有するので、被告県は被告会社と連帯して、国家賠償法二条一項にもとづき損害賠償責任を負うものというべきである。

六損害

(一)  原告児高

1  自動車修理代

<証拠>によれば、本件転落車両は、同原告が代金割賦の約で購入し所有権留保中であつたところ、本件事故により大破し、その修理費用として七一万円の支払(六、〇〇〇円余は免除をえた)を訴外広島いすず自動車株式会社にしていることが認められこれに反する証拠はないので、同額の損害をうけたものである。

2  転落車両引き上げ費用

<証拠>によれば、転落車両の引き上げ費用として二八、〇〇〇円を要したことが認められこれに反する証拠はない。よつて同額の損害をうけたと解される。

なお、原告児高は広島市までの運搬費用をも請求しているが、これを認めるに足りる証拠がない。

3  積載木材の喪失による損害

<証拠>によれば、積載していた木材が引き上げ不能となつたこと、右木材の時価は一〇万円であつたこと、また木材は原告児高と共同経営者訴外小笠原倉登との共有で持分は各二分の一であつたことが認められ、これに反する証拠はない。

右によれば原告児高の受けた損害は五万円であると認められ、それを超える請求は理由がない。

4  以上原告児高の損害は、合計七八八、〇〇〇円となりその余の請求は排斥を免れない。

(二)  原告岡本の慰藉料

<証拠>を総合すると原告岡本は事故当時広島市江波町桃太郎木材(原告児高・訴外小笠原倉登共同経営)に自動車運転手として勤め、月額約二万円の賃金を得ていたところ、本件事故により右下腿部、側頭部、左中指環指挫創、左肘関節、膝関節部挫傷等の傷害を負い、約一〇日間の入院治療を受け、退院後も約二〇日間安静加療をしたため、約一カ月間仕事に従事することができなかつたこと、このためその間の賃金収入を失つたが、これについては他から補償を受けていないこと、仕事について後も、なお腰痛等が残つていたことが認められ、これに反する証拠はない。右事実に本件事故の態様等の事情を合わせ考えると、原告岡本が右受傷により蒙つた精神的苦痛に対しては、五万円をもつて慰藉するのが相当である。右五万円を超える原告岡本の請求は理由がない。

(三)  広美の死亡による得べかりし利益の喪失および同人につき発生した慰藉料

1  得べかりし利益の喪失

<証拠>を総合すると、広美は昭和三〇年頃から前出桃太郎木材に勤め、材木伐採等の人夫として働いていたが、昭和三六年一一月頃からは自動車運転の仕事にかわり、本件事故当時月額平均二三、九〇〇円の賃金を得、右月収の半額一一、九五〇円を自己の生活費として通常必要とするので、これを控除し月額平均一一、九五〇円の純利益を得ていたことが認められ、同人は昭和一一年三月二七日生れの男子(記録編ての広美の戸籍謄本の記録による)で、死亡当時二六才であつたので、厚生省発表第一一回生命表によるとその平均余命は43.68であるから、本件事故に遭遇しなければ同人はなお右と同程度生存しえたであろうこと、そして職業の性質を考慮するとその就労可能年令は通常六〇才までと認められるので、あと三四年間は就労可能で、その間少なくとも前記と同額の賃金収入があり、前同額の純利益を得ることができるものというべく、純利益の三四年間の合計額は四、八七五、六〇〇円(11.950×12×34)となる。

したがつて、同人が喪失した得べかりし利益は、一時にその支払を受けるものとして、右合計額からホフマン式計算法(複式)により年五分の割合による中間利息を控除して算出した二、八〇四、〇一七円となる。

2  慰藉料

広美は、本件事故により若くしてその生命を絶たれたこと前示の如くであり、<証拠>によれば、同人の家族は妻幸江(当時二六才)および長男英樹(当時二才)のみであることが明らかである。これらの事実に本件事故の態様等諸般の事情を考慮すると、同人の蒙つた精神的苦痛に対する慰藉料としては六〇万円をもつて相当と認める。

3  以上によれば広美の損害は右1、2の合計額三、四〇四、〇一七円となるが、このうち労災保険の関係(事業主負担分を含む)から七九六、七〇〇円の補償金が原告等遺族に支払われたことはその自認するところであり、これを控除すると広美自身に発生した損害額は二、六〇七、三一七円となる。

そこで原告英樹は右損害賠償請求権のうち三分の二にあたる一、七三八、二一一円、原告幸江は三分の一にあたる八六九、一〇六円をそれぞれ相続により取得したものである。

(四)  原告英樹、同幸江の固有の慰藉料

本件事故により、原告英樹は幼くして父を失い、また原告幸江は生涯の伴侶たるべき夫を失つたものであるからそれぞれ多大の精神的苦痛を蒙つたことは、多弁を要しない。上述の諸事情を総合して考慮すると、原告ら自体の慰藉料としては、原告英樹については三〇万円、同幸江については六〇万円をもつて相当とすべく、それらを超える請求は理由がない。

以上のとおり原告英樹の損害は、二、〇三八、二一一円、原告幸江の損害は一、四六九、一〇六円の限度で相当として認容し、その余の請求はいずれも理由がない。

(五)  原告重田の慰藉料

<証拠>を総合すると、原告重田は昭和一一年六月一〇日生の男子で、昭和三六年一一月から桃太郎木材で人夫として働き、月額平均約二万円の賃金を得ていたところ、本件事故により頭蓋底骨折、くも膜下出血、第一、二、三、四腰椎横突起骨折、骨盤骨折等の傷害をうけ、事故当日から昭和三八年四月二〇日まで呉市の中国労災病院等で入院治療をうけ、退院後も昭和三九年四月まで山県郡芸北町八幡診療所へ通院したこと、しかし現在なお強度の精神障害が後遺症として残り、労働能力もほとんど喪失した状態にあるため知人の世話になりようやく生活していること、右精神障害は回復の見込みがほとんどないこと、労災保険からは休業補償として年間約二四万円(昭和四二年)の支給をうけていることがそれぞれ認められ、これらの事実に本件事故の態様並びに物的損害の請求をしない等一切の事情を考慮すると、同人の受くべき慰藉料としては二〇〇万円が相当であり、それを超える請求は失当である。

七過失相殺の主張について

被告等は、本件事故の発生については原告岡本の過失、すなわち(1)同人が運転を誤り路肩に自車を乗り入れたこと、(2)同人が制限違反の長さの木材を積載していたこと、が大きな要因をなしているので過失相殺されるべきである旨主張する。

しかし既述のように原告岡本には、右(1)の過失は認められず、(2)の点については、<証拠>によれば、道路交通法施行令二二条の定める制限を超える長さの木材を積載していたことは認められるが、これについては警察の許可を受けていたこともまた明らかであるからこの点についても法令違反は存しない。

なお、<証拠>を総合すると、本件車輛は六トン積のものであつたところ、事故当時これを一ないし二トン超過する重量の木材を積載していたことがうかがわれるが、<証拠>によれば、現場道路には通行車輛の重量制限がなされていなかつたこと、本件車輛より大型の車輛も通行していたことが明らかであるから、積載重量超過のため荷くずれが起つたなど格別の事情の認められない本件の場合、右重量超過と事故の発生との間に相当因果関係があるとは解されない。

右のとおりで、本件事故の発生については、原告岡本がその一因を与えたとは言いえないので、過失相殺をすべきものではなく、被告等のこの点の主張は理由がない。

八消滅時効の抗弁について

1  原告英樹、同幸江の請求拡張分について

本件記録によれば、原告英樹、同幸江は、昭和三九年四月一四日受付の訴状において、原告英樹が一、八二七、七四六円、同幸江が九一三、八七三円およびこれらに対する訴状送達の翌日から年五分の割合による金員を損害賠償として請求していたところ、昭和四三年九月一〇日提出の準備書面で原告英樹については四、六八二、三八一円、同幸江については三、九〇一、一九九円と請求を拡張し、その後同年一〇月七日提出の準備書面で冒頭記載の請求の趣旨の金額に請求金額を訂正(縮少)したこと、右原告両名は遅くとも右訴提起の日には損害の発生並びに加害者を知つていたものであり、右請求の拡張のあつたのはその日から短期消滅時効期間である三年をはるかに経過した後であることが明らかである。

しかしながら、本件記録と審理の経過に徴すれば原告両名の訴は、本件事故にもとづく損害の全部を請求する趣旨で提起されたものと認められるので、このような場合には訴提起により該事故にもとづく損害賠償請求権の全体について時効中断の効力が生ずるものと解すべきものである。

けだし、不法行為の結果発生すべき損害額というものは当事者としても証拠調べの結果によつてはじめてその債権額を確知できる場合が少くないであろうから審理途中において請求金額の変更(拡張)をする必要は少なくないところ、右原告両名は当初の訴提起により自己の有する損害賠償請求権のすべてを求める趣意を暗に表示したものと解されるので該事故に基づく損害賠償請求権であるかぎり、後に請求の拡張をした部分についても右訴提起の時既に「裁判上ノ請求」がされたものと同視するのが相当と判断する。このような解釈をとつたとしても、時効制度の本来の趣旨に反することはありえないのみならず、かえつて被害者の公平な保護をはかる目的に合致し、かつ損害賠償請求訴訟の係属中にその債権の一部が時効により消滅するという結果を避けることができる。

以上のとおり、前記請求拡張分についても、訴提起により時効中断の効力を生じていると解すべきものであるから、被告等の時効消滅の主張は採用しない。

2  原告重田の請求拡張部分について

本件記録によれば、原告重田は昭和三九年五月六日受付の訴状において損害金三、一五六、八〇〇円の内金として一〇〇万円の請求をしていたところ、前記昭和四三年九月一〇日提出の準備書面で冒頭記載の請求の趣旨の金額に請求の拡張をしたこと、同原告は遅くとも右訴提起の日には右時点までに発生した損害並びに加害者を知つていたものであり、請求の拡張がなされたのは、右の日から三年をはるかに経過した後であることが明らかである。

しかし、記録と本件審理の経過に徴すれば、同原告は訴提起当時いまだ療養中(前判示のとおり、頭部強打による精神障害がある)で損害額を確定しがたく物的損害が三二〇万円余を下らない見込もあるけれども、一応右時点での損害額を慰藉料三〇〇万円を重点に概算して三、一五六、八〇〇円とし、後日後遺症状及び労働能力回復の状況によつて損害額が判明した後に、請求の拡張をすべきことを暗に表示し、とりあえず、その内一〇〇万円を請求金額として訴の提起をしたものと解され、右一〇〇万円のみを裁判上請求するというような限定的意思の表示がされているものとは認め難い。

そうすると、前記1と同様の理由から当初の訴提起により本件事故に基づく損害賠償請求権全部について、時効中断の効力を生じたものと解すべきである。よつて被告等の消滅時効の抗弁は採用しない。

3 なお、被告等の引用する最高裁判決は、右1、2と事案を異にし、本件に適切でない。

九結論

以上により、原告等の被告等に対する請求は、被告各自に対し原告児高については前記七八八、〇〇〇円、原告岡本について前記五万円、原告英樹については前記二、〇三八、二一一円、同幸江については前記一、四六九、一〇六円、原告重田については前記二〇〇万円および右各金員に対する原告児高、同岡本、同重田については本件事故発生の翌日であること記録上明らかな昭和三七年七月二一日から完済まで、原告英樹、同幸江については、広美の死亡の翌日であること記録上明らかな昭和三七年七月二二日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるのでこれを認容し、その余の請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。(熊佐義里 塩崎勤 木村要)

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